思考回路
一つ上に移動それでも大陸は移動する
TBSの特番で放送されていた「地球46億年冒険の旅アース・オデッセイ~“地球とは何だ!?”」が結構面白かった。最終的に地球環境問題につなげようというミエミエの展開、出演者のやすっぽいコメントはなんだかなあという感じではあったが、全体的な構成はきっちりできていたし、映像の素晴らしさには圧倒された。こういう番組を見るとハイビジョンっていいなあと思う。
その中でちょっと驚いたのが大陸移動説に触れていたところ。これって僕が小学生の頃本で読んだときには、どちらかというとトンデモ話の類だったような記憶があるのだが、いつの間にか有力説、というか定説になりつつあったのだ。なんてこったい。
科学が進むにつれ新しい事実で次々塗り替えられていく。
歴史もまた同様である。新しい事実が発見されるたびに、過去の歴史は上書きされていく。(鎌倉幕府の成立は1192(いいくに)じゃなくて1185年だとか。聖徳太子はその実在性に疑問が持たれているとか)
義務教育時代に習ったことをいつまでも常識だと思っていると、たまにとんでもないことになるね。(つい先日言及した世界四大文明もそうだし)
だから常に頭は柔らかく。何かおかしいなあと思ったらその素朴な疑問を大切にしよう。
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地球温暖化問題の本質
2月中に「地球温暖化」に関するいくつかの検討をしてみたのだが、所詮素人の判断にはムリがある。
世間では依然として安易な判断、よくわからない議論が続いているようだが、現在の「地球温暖化」に関する誤解をズバッと解決してくれる専門家の記事を見つけたので紹介しておく。
記事を書いているのは伊須田 史子という方だが、インタビューの相手は”米国・フェアバンクスのアラスカ大地球物理研究所と国際北極圏研究センター(IARC)の前所長で、同大の名誉教授である地球物理学者の赤祖父俊一氏”。
誤報だらけの地球温暖化情報 (上)
今は小氷河期からの回復期です。したがって全地球的に氷河は縮小しているものの、これは1800年前後から世界全体で起きていることに過ぎません。1950年代に炭酸ガスが急速に増え始めたころから突然始まったものではないのです。
誤報だらけの地球温暖化情報 (中)
1920年から1945年までの間に現在とよく似た気温上昇が観察された際、グリーンランドの氷床は現在よりもっと溶けたにもかかわらず、当時の海面上昇率にはほとんど影響がなかったことが知られています。
誤報だらけの地球温暖化情報 (下)
二酸化炭素の排出量を金銭で取引しようなどというのは、しょせん、タヌキとキツネの化かし合いです。発展途上国はその資金で「石器」時代からはい上がろうとし、先進国はその資金で「石器時代」に戻らないようにする。結果として恐らく、二酸化炭素の排出量は世界的には変わらないでしょう。
続・誤報だらけの地球温暖化情報 (上)
コンピュータは既知の自然変動を計算できますが、原因不明の小氷河期や多くの過去の気候変動の研究はできません。コンピュータは原因の物理過程が分かれば、それを数式にして解くだけです。
続・誤報だらけの地球温暖化情報 (下)
もともと温暖化問題は、EU が米国の経済的優位性を炭酸ガス問題で牽制する道具でした。現在では、金持国と貧乏国の争いの道具になっているだけです。
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リンゴ・ゴリラ
日本語にはひらがな、カタカナ、漢字と様々な表記方法があるが、発声される言葉でいえば、ひらがな50音がすべてである。(厳密に言えば50音ではないし、濁音・鼻濁音は含まれないが、とりあえず”原則”ということで)
しかし、ひらがな50音に整理されたのは比較的近世の話なのであって、例えば、むかし母音は5つだけではなく8つあったという説もあるし、現在では発声されない子音もかつては使われていたようなのだ。そして、その名残がまさに50音の中に残っているという事実もあるのだが、指摘されないとなかなか気付かないものである。(文字と言葉はセットで記憶されてしまうので、目から入る情報が優先されてしまうからではないか)
わかりやすいところでは、わ行の「ゐ」(wi)、「ゑ」(we)。いまではそれぞれ「い」、「え」と読み替えるのが当たり前だが、かつてはそれぞれに特有な発声があった。
「は行」には仲間はずれの文字がひとつある。
「は」を発音したまま口を動かさずに「ひ・ふ・へ・ほ」と続ければわかりやすい。「ふ」はfuなのであってhuではないのだ。藤田さんや藤原さんが自分の苗字をローマ字で表記するときにHujitaとか、Hujiwaraを使うことはないだろう。(逆にHungaryはハンガリーで、フンガリーとは読まない。もっとも、その語源はその昔中央アジアに一大勢力を築いていたフン族(Hun)からきている)
昔はFa、Fi、Fe、Foに相当する発声も存在したはずなのだ。
リンゴ(林檎)は、リンゴと「ゴ」を強めに言うときはgoであるが、鼻から抜けるように「んゴ」と発声することもある(文字ではきわめて表現しにくい)。この場合の「ゴ」と、ゴリラの「ゴ」は別物である。
同じように、「僕が、わたしが」というときの「が」には二通りの発声がある。
人類の長い歴史を見れば、まず「ことば」があって、その後に「文字」ができる。そうすると、異なる民族、部族の間で文字によるコミュニケーションをとることとなった場合、既存の「ことば」に無理やり文字をあてはめなければならない事態が生じる。
日本に「漢字」が輸入されたのは、一般には5世紀ごろと言われているが(個人的には大いに疑問)、その当時日本に住んでいた人は漢語を話していたわけではない。もともと存在していた「ことば」に、表音文字としての漢字を当てたのである。だからその時点では「文字」そのものに意味はない。
しかし、いったん「文字」がつけられた「ことば」は、長い時間が経つと本来の発声音よりも視覚的情報である「文字」によって認識されるようになり、文字にそって発声され、後付けで意味が付加されていくようになる。日本に古くから伝わる地名を読み解く場合には、そういったことも熟慮しなければならないのだ。
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オークションで学んだこと
この1週間で自宅サーバのマシン入替えを行った。その結果いくつかパーツが余ったので、例のごとくYahooオークションで処分しようと思っている。
ネット・オークションを初めて利用したのは1999年の夏。そのときもパソコン関係だった。初めてのオークションで購入した中古のパーツで、初めてのPC自作をするという、今から思えばかなり無謀なことをやっていたわけだが、それがキッカケで今の仕事を始められたともいえるわけで、人生何が役に立つかわからないものである。
(ちなみに、最初に落札したパーツは、Celeron 333MHz(PPGA)とASUS KN97-Xというマザーのセットだった)
それから今日まで、およそ200回ほどのオークション取引をしてきた。その経緯で学んだことといえば、「モノの価値は本来相対的なものである」ということ。
当たり前といえばあまりに当たり前のことなのだが、現在の市場経済には基本的に「定価」というものが存在するので、どうかするとモノには普遍的(絶対的)な価値が存在するかのような幻想を抱いてしまうのである。
近代化の前提としては標準価格のようなものがないと成り立たなかったのだろうが、その昔、まだ貨幣が存在しない社会では物々交換が基本だった。どれほど欲しいか、どれほど必要かということは、それぞれの部族に固有な事情があったはずなのである。
オークションで落札する場合には、その品物に対してどれだけの金銭価値を設定するかということを自分自身が決定しなければいけない。どこまでだったら払えるのか、払う気があるか。それをうやむやにしたままでいると、落札間際の高値更新時に熱くなりすぎ、当初の予算を大幅に上回る落札金額を支払う羽目になりかねない。
まあ、実際にちょくちょくそういう痛い目を経験したなあ、ということでもあるのだが。
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パルックボールで省エネ
今年も暑い夏がやってきた。西日本では過去の最高気温に匹敵する猛暑を迎えているらしい。ここ関東平野では30度を少し超えるぐらい。本来ならむちゃむちゃ暑いという状況ではないはずなのだが、とにかく湿気が高くて不快感をぬぐえない。
昔は梅雨が明ければ、気温は高くても、もう少しサラリとしていたような記憶があるのだが、ここ数年の夏はどうも、じとじとしていて鬱陶しい。おそらく、少しずつ亜熱帯型の気候に近づいているのだろう。そういう意味ではやはり間違いなく「温暖化」は進んでいるわけである。
(もっとも、温暖化が進んでいるという事実と、温暖化の原因をCO2に求める説とは別物だ)
個人的にできるだけエアコンは使わない主義なのだが、気温の高いのはある程度辛抱できても湿気が高いのはどうにも我慢ならない。そこでここ数日はドライにするか28度設定で冷房にして凌いでいる。
エアコンを入れている間は効率よく冷やすため窓を締め切り、日中陽のあたる窓側はカーテンを閉めるようにしているのだが、そうすると部屋のあちこちで熱を発生させている原因がとてもよくわかる。
冷蔵庫やガスコンロはもちろんだが、液晶TVの表面もかなり熱を出している。そしてパソコンから排出される熱も相当なものである。仕事から帰ってきて部屋に入ると、常時稼動しているサーバの置いてある付近は明らかにむっとするぐらい温度が高い。そこで、より省電力となるよう、つい最近サーバのマシンを入れ替えた。
そのほか問題なのは白熱電球。ほとんど蛍光灯が使われている中で洗面所兼洗濯機置き場の天井には埋め込み式の白熱灯(60W)が使われている。
ところが、最近は白熱電球の代わりになる電球型蛍光灯というものがあるのだ。近くのスーパーでパルックボール プレミアというのを見つけて早速買ってきた。1個1500円という値段はちょっと高い気もするが、消費電力が白熱電球の5分の1(10W)で、かつ寿命は10倍も長いというので十分メリットがある。
白熱灯の場合、点灯中にちょっとでも触ろうものなら熱すぎてヤケドするが、蛍光灯は数秒程度なら触っていても平気な感じ。こういう省エネなら迷わず進めるべきだな。
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地球寒冷化が始まった!?
タイトルだけ見るとまたもトンデモ話か?と思われる方もいるかもしれないが、ぜひ最後尾にあるURLの参照先をご覧になって判断していただきたい。
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【補足(2009/9/8)】
※ミランカの運営はすでに終了しています。放送内容の要約をこのサイトにアップしてありますので、詳細はそちらをご覧ください。短時間にまとめたものなので、大雑把でわかりにくいところがあるかもしれません(特に後編)。
地球温暖化CO2犯人説のウソ 前編
ミランカ[miranca] という、動画ストリーミングのサイトがある。基本的には有料コンテンツなのだが、会員登録だけしておけば最新のプログラムに限り一部無料で見られる。
地上波では3年前に終了してしまった内村プロデュース。その名残を感じさせる内村さまぁ~ずという番組が見たくて登録したのが最初のきっかけなのだが、もうひとつ博士もしらないニッポンのウラという番組がとても面白くて毎回楽しみにしている。
浅草キッドの水道橋博士と、評論家の宮崎哲弥(「ビートたけしのTVタックル」や「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」などでお馴染み)がMCとなり、各界の専門家を招いて地上波では決して放送できないようなディープなネタを扱うのだ。前編・後編それぞれ小一時間もあり、しかもその間CMが挟まれることもないのでかなり見応えがある。
で、最新のテーマが例の「地球温暖化」の問題なのである。
今回のゲストは、地質学者の丸山茂徳氏。いわゆるトンデモ科学者と呼ばれる類の人々とはまったく異なる人物である。番組の帯で紹介されていたプロフィールを引用しておこう。
地質学者。スタンフォード大学、東京大学助教授を経て1993年東京工業大学大学院助教授になる。専攻は地球惑星科学。地球のマントルの全体の動き=対流運動に関する「プルームテクトニクス」という新理論を打ち立て学会に衝撃を与える。紫綬褒章・日本地質学会賞を受賞。
今回の番組は、地球温暖化についておそらく現在もっとも冷静かつ誠意のある議論が交わされている内容だと思う。しかし、後半で語られる厳しい現実は恐ろしく衝撃的でもあるので、ご覧になる方は一応覚悟のうえで。ちなみにFirefoxでは見られません。
博士も知らないニッポンのウラ シリーズ(※現在はすでにサービス終了)
#39-01と#39-02
ドキュメントアクション
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There's NOT a little black spot on the sun today
太陽にまったく黒点が観測できない状況にあるらしい。これはすなわち太陽の活動が静まっていることを意味する。黒点とは、太陽の活動が活発なときほど現れるものだからだ。
そうするとスベンスマーク理論に寄れば、太陽の活動が縮小したことにより、地球に降り注ぐ宇宙線がさえぎられにくくなるので、雲のタネが増えることになる。結果地球を覆う雲の量が増えれば、地球は寒冷化に向かうというわけだ。
丸山茂徳氏が主張していたとおり。
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創造力の枯渇
過去の資産を食い潰す最近の悪しき傾向
キムタク主演で実写版の「宇宙戦艦ヤマト」が製作される(らしい)というニュースがあがっている。
記事によればまだ確定情報ではないらしいが、これだけ具体的な配役が決まっているとなると正式な発表があるのもそう遠くないのだろう。
ちなみに2、3日前に見た記事によれば、ヒロイン森雪の候補として、決定した沢尻エリカのほかに綾瀬はるかの名もあがっていたらしい。Mr. Brainで共演したキムタクは綾瀬はるかがお気に入りだった(?)らしいが、製作サイドでNGだったとか。(なんでやねん)
それはともかく、ここ数年の傾向として、既存アニメの実写版の映画化・ドラマ化というのがとても多い。
最近で言えば桜井翔の「ヤッターマン」、ウエンツくんの「ゲゲゲの鬼太郎」、柴崎コウが出ていた「どろろ」も手塚治虫の作品だし、少し前になるが「キャシャーン」もそうだ。(もっといろいろあるはずだがすぐに浮かんでこない)
ドラマで言えば、「鹿男あをによし」だってもともとは漫画だし、そいういえばのだめもそうじゃないか。(もっといろいろあるはずなのだが・・・)
アニメを実写版で撮るということが増えた原因のひとつは、CG(コンピュータグラフィック)の発達でこれまでだったらとうてい映像化できないような物語も映像化できるようになったということが大きいと思う。その背景にここ十数年のコンピュータの進化があるのも事実である。コンピュータの進化、低価格化によって、従来よりも手軽にCGを製作できるようになったということだ。
しかし、もっと現実的な理由もある。
「映画」というメディアそのものが、かつての黄金期とは異なり多額な制作費をかけづらくなっているという悲しい事実があるのだ。ひとつの映画を製作するのには何億、何十億という金が必要である。
その昔のハリウッドや大映・東宝の最盛期には、自らの興行収入で次の映画を製作できていたはず。しかしいまは違う。映画を作るためにまずお金を集めなければならない。どうやってお金を集めるか。
組合を作って投資を募るわけである。投資といっても個人の投資家ではない。例えば「僕の彼女はサイボーグ」の例で言えば、DVDの冒頭にもクレジット表示されるが、フィルムパートナーズというのが投資組合のことであり、電通、ギャガ、TBS、小学館などが名前を連ねる。
さて、こういった投資家団体を募るのは、当然まだ映画を製作する前の段階であり、どういう映画を作るかという企画書ベースで話は進んでいくわけだ。しかし、投資する側からすれば投資するだけのメリットがなければお金を出す意味が無い。その映画があたるのかどうなのか。
公開してみなきゃわからんだろう、というのがそもそもの話なのだが、企画段階でお金を集めやすくするためには、素人でもある程度「あたる」と判断できる映画の方がより好ましいということになる。そうすると、あたるかどうかわからない不確定な物語よりは、すでに知名度のある既存の物語を持ってきたほうが話が早いということになってしまうわけだ。「宇宙戦艦ヤマト」という名前を持ち出しただけでヒット間違いない、しかも主役がキムタクときたもんだ。あたらないわけないでっしゃろ?
こうやって次々と過去の名作アニメが実写版となっていくのである。もちろん、それがすべて悪いこととは言わない。アニメを映像化する工夫、配役の選択など見所はもちろんある。作品として優れたものは確かに面白い。
しかし、そういったものばかりが取り上げられる風潮はいかがなものか。所詮は過去の作品なのである。長い目で見て、新しい物語を生み出す、作り出す創造力がどんどん失われていくのではないか。新しい才能を見出すことが疎かになっていないか。
残念ながら「僕の彼女はサイボーグ」は興行的にはあまり成功していないらしい。現段階では赤字だそうだ。しかし、この映画の根っこにある発想は誰でも簡単に思いつくようなものではない。批評するのは簡単だが、ひとつの物語を生み出すのはそう容易いことではないのだ。映画に限らないが、新しい発想、ユニークな作品を生み出す知性が枯渇した社会はあまりにつまらない。
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地球寒冷化が心配デス