元旦の月食ショー
元旦から部分月食が見られるという珍しい年。
今年はこのほか数回の天体ショーが見られるそうな。
- 1月15日 東南アジアで金環日食、西日本でも欠けたまま沈む太陽が観測できる
- 6月26日 月の半分ほどが欠ける部分月食
- 12月21日 月が欠けたまま昇ってきて間もなく皆既になる月食
ちなみに月食があるということは、本日が満月なので月末にもう一度満月の日がやってくる。ということで2月には満月の日がないということになるらしい。
- カテゴリ
- お気楽日記
I Need To Be In Love
The Carpenters (1976)
これまでの人生で一番難しかったのは
信じ続けること
このおかしな世の中に私を待っている人がいるって
人々がはかない人生を行き来するように
私のチャンスだってめぐってくるかもしれないのに
私は知らなかったのよ
私はよく言ったわ 約束しないで
シンプルにいきましょうって
だけど 自由はあなたにさよならを言わせるだけ
自由からは何も生まれないということを知るには
少し時間がかかったのよ
払った代償はあまりに高くついた
恋することが必要だってことはわかるわ
たくさんの時間を無駄に費やしたってことも
この不完全な世界に完璧さを求めているのよね
それなのに馬鹿みたいだわ
いつか見つかるものだと思っているんだから
私はいまここにいて
たくさんの善意に囲まれているけど
今夜はどれひとつとして慰めにならない
午前4時に 眠れずにいて
まわりに友達はいない
一筋の希望にしがみついているの
でも大丈夫だわ
恋することが必要だってことはわかるの
たくさんの時間を無駄に費やしたってことも
この不完全な世界に完璧さを求めているのよね
それなのに馬鹿みたいだわ
いつか見つかるものだと思っているんだから
- カテゴリ
- 洋楽対訳
Perfection of a quite imperfect world
めずらしくこのサイトにトラックバックが送られてきたと思ったら、そのキーワードが女優「桜井幸子」だった。
桜井幸子といえば、現在公開中の映画「ウルルの森の物語」にも出演しているのだが、世間一般にはやはり野島ドラマ「高校教師」の印象が強いのだろうか。個人的には、同じ野島ドラマでも「未成年」のモカ役の方が強烈に印象に残っている。
そしてドラマ「未成年」といえば、その主題歌(エンディング)に採用されたCarpentersのI Need To Be In Loveの印象も非常に強い。もともとは1976年のヒット曲であり、当時ラジオで聴いて大好きだった曲のひとつでもある。それから約20年経って「未成年」というドラマの思い出も付け加えられることになるわけだが、とにかく名曲中の名曲である。
この世にミューズの神というものが存在するのであれば、この曲こそまさに具現化されたもの。この曲の美しさは完璧である。あらゆる意味でパーフェクトなのだ。
特に、冒頭の静かなピアノの音から始まってハープや木管の音が重なり、カレンの歌いだしへと流れていくイントロの部分は最高だ。美の極致といってもよい。まさに、perfection of a quite imperfect worldなのである。
- カテゴリ
- 音楽ネタ
初春の雑感
年末年始で一週間の休みを取り、本日から本格始動。今日は午前中だけの作業。本来なら2、3時間程度で終わるはずだったのだが、ひさびさにやっかいなトラブルにあたり、結局夕方までかかってしまった。しかし、最終的には無事解決したのでよしとしよう。
サポートの仕事のほか、新年早々修理の依頼も数件あり、出だしとしてはまずまずである。引き続き先の見通しについて楽観視はできないが、だからといって悲観的になっていてもしようがないのだ。
政治の世界も相変わらず混迷しているようだ。日本という国がこれからどうなっていくのか。考えれば考えるほど憂鬱にならざるを得ない。こちらの方は楽観視している場合ではないのである。国民の生活はこれからますます大変になっていくと思う。何とかして生き延びなければならない。そういう切羽詰った状況がさらに加速していくのではないか。
しかし、それがすべて政治家の責任だというわけでもない。大きな枠組みで見れば、いま起こっているのは日本という国の相対的な地位の低下。日本がいままでと同じぐらい頑張ったとしても、それ以上に伸びている国が(特にアジア圏では)多数あるということだ。しかし、現在の日本に過去数十年と同様に伸びていくだけの底力があるだろうか。
渦中にいると見えにくいが、現在歴史は大きく動き出そうとしている。こういった時代には、先を見通し、強力な指導力を発揮して導いていくリーダーの存在が求められる。枝葉末節にとらわれず、本質を見極める、ある意味では独裁、独断的な人物が必要なのだ。
しかし、日本という国は「和の精神」が根付いた国である。伝統的に独裁者、スタンドプレーをよしとしない。だから民主党の小沢一郎のような人物はメディアからたたかれまくる。(別に小沢氏の信奉者ではないが)
ようやく新党や連立の動きも見え始めたが、やはり民主党任せではうまくいかない。宮崎哲弥氏が主張するように政界再編成が長期的なトレンドになるのだろう。政治が安定しなければ国は安定しない。それまで何とかしてsurviveしなければ。
しかし、やはり悲観的になる必要はない。生きていくということは、それ自体、もともと大変なことなのだ。その点を勘違いしている人が多すぎるのではないか。そんな風に思う。
一日一日を精一杯生きていくこと。僕らにできることはそれしかないし、それがすべてなのだ。
- カテゴリ
- 思考回路
笑う犬 2010寿
年末年始の特番の一環で、昨晩「笑う犬 2010寿」が放送されていた。「笑う犬」というのは、ウッチャンナンチャンの内村光良、ネプチューンの3人組、オセロの中島らがメンバーとなり、基本的にコント・ネタ(いわゆるシチュエーション・コント)を披露していたお笑い番組である。
ついこの間まで放送していたような印象があったが、宇多田ヒカルのAutomaticをパロったネタ(中島)があり、その流れで当時まだテレビにはさほど露出していなかった宇多田ヒカル本人が被り物姿でドッキリ出演したこともあるぐらいだから、もう10年も前ということになる。
最近はエンタの神様やレッドカーペットのようにショートネタがブームなので、作り込まれたコント・ネタを見る機会は少ないが、独特なキャラクターが回を追うごとに変容、暴走していく面白さはコント・ネタならではある。
- カテゴリ
- お気楽日記
- 固定リンク
- ¦
- コメント (0)
- ¦
- トラックバック (2)
- トラックバック用URL:
- http://erik.atnifty.com/blog/100107/tbping
松本人志 内村光良
オトクなCD DVD 楽器は?CD DVD 楽器の通販
NHK古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」
珍しく8世紀代を扱ったNHKの古代史ドラマがこの4月に放送されるらしい。
1300年の時を超え - NHK古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)、俗に言う「奈良の大仏」の開眼供養会が行われたのは、天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)のこと。大化の改新から約100年後である。
年末に平城京跡の大極殿が披露されたばかりだが、遷都1300年を記念する意味合いもあるようだ。
ちなみに、完成した大極殿を写真で確認すると、どう見ても韓国の歴史ドラマに出てくる宮殿そのものである。時代が時代だから影響を受けていないわけはないのであるが。
写真は、阿倍内親王(孝謙天皇)役の石原さとみ。
- カテゴリ
- 歴史考察
- 固定リンク
- ¦
- コメント (2)
- ¦
- トラックバック (0)
- トラックバック用URL:
- http://erik.atnifty.com/blog/100108/tbping
Re:NHK古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」
これは楽しみ。
そういえば今年は遷都1300年なんですね。いろいろな面から奈良時代が取り上げられるとうれしいです。
Re:NHK古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」
特別に復元されたばかりの大極殿でロケが行われたということですので、日本では今まで見たことない映像が楽しめそうですね。
ドラマといってもおそらく単発ものだとは思いますが、韓国ドラマに負けないような迫力ある展開を期待したいものです。
「大人」に関する考察
今週成人式があったから、というわけでもないのだが、『大人』という言葉について考察を加えてみたい。といっても「大人」(おとな)のことではなく、韓国の歴史ドラマでよく使われる呼称についてである。
たとえば、ドラマ「朱蒙」では、宮殿から抜け出し卒本(チョルボン)へと向かうユファとイェソヤを助けようとしたのがチョン大人(たいじん)であったし、ヤンジョンに続いて朱蒙の宿敵となった漢の皇帝の外戚ファン・ジャギョンは、ヨンポなどからはファン大人と呼ばれていた。
ドラマ「ヨンゲソムン」では、ヨンゲソムンを新羅から隋へ引き取り、後に養親となったワン・ビン(隋の宦官)も『大人』(字幕ではテイン)と呼ばれていたし、隋から高句麗へ戻ってからのヨンゲソムンやその養父(ヨソンの父)などもしばしば『大人』と呼ばれる。(本日の回を見ていたら、ソヨンが夫であるヨンゲソムンに使う呼称も字幕では「旦那様」だったが音は明らかにテインだった)
ここで使われている『大人』という言葉は、もちろん現在日本で成人の意味に使われている「大人」とはまるで意味が違う。日本では法律に定められているから二十歳になれば誰でも「大人」になれるわけだが、かつては誰もが『大人』になれたわけではない。というよりはむしろ、かなり限定された、ごく一部の人物しか『大人』と呼ばれることはなかったのだと思う。
「小人閑居して不善を為す」というコトワザがあるが、この『小人』の対極にあるのが『大人』と見てよい。 バスや電車の運賃で大人・小人という表記が使われることはあるが、一般に「おとな」の対義語といえば「こども」なのであって、『小人』とは、よく言えば一般人・凡人、悪く言えばろくでもない人物のことである。とすれば『大人』とは、本来、聖人君子もしくはそれに匹敵する人物のみに使われる言葉なのだろう。 (韓国ドラマを見る限り、少なくとも王族や貴族のランクにないと使われない表現だと思われる)
『大』という言葉は、bigやlargeを意味するのではなく、本来は尊称としての意味合いが強かったのだと思われる(ここ重要なポイント)。だから、ドラマ中式典などで「大高句麗」という言葉が使われるのは、必ずしも高句麗が広大な領土を持つということを言っているのではなく、「偉大なる高句麗」ぐらいのニュアンスなのだろう。わが国が以前使っていた「大日本帝国」という言葉もおそらくは同様な趣旨で使われていたのではないか。(この狭い島国が「大きい」わけないからね)
ちなみに、どうでもいい話だが滝澤は自分の成人式の当日はK塾の試験監督のバイトだった。成人式には出席していないのである。だからいまだに大人になりきれないのか(ほっといてくれぃ)。
- カテゴリ
- 歴史考察


